<象徴天皇と平成>(3) 川内村長・遠藤雄幸さん:一面:中日新聞 … – 中日新聞

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遠藤雄幸さん

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福島県川内村を訪問し、仮設住宅の入居者に言葉をかけられる天皇、皇后両陛下=2012年10月

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 JR郡山駅(福島県郡山市)から車で狭い山道を一時間余り。千メートル近い山々に囲まれた同県川内村は、東日本大震災で事故を起こした東京電力福島第一原発の二十〜三十キロ圏内にあり、全村民が二〇一一年三月から一年余り避難した。その村を、天皇、皇后両陛下が訪問されたのは、翌一二年十月だった。

 雲仙・普賢岳(長崎県)の噴火災害や阪神・淡路大震災など、両陛下は多くの被災地に赴き、人々を励ましてきた。「象徴(天皇)の務め」との考えからだ。東日本大震災の被災地である岩手、宮城、福島の各県には何度も足を運んでいるが、原発事故で人々が避難した場所を訪れたのは川内村が最初だった。

 「本当に来られるのか」。来訪の約一カ月前の一二年九月ごろ、福島県から知らせを受けた遠藤雄幸(ゆうこう)村長(62)は戸惑った。事故後に郡山市に移した村役場機能を村に戻してから、まだ半年。冬場の雪で除染作業が進まず、放射線量の高い場所もあった。

 震災前年に約二千八百人いた村民の帰還は進んでいなかった。遠藤さんは「両陛下に来ていただければ、村民に安心してもらえると思った」と振り返る。

 訪問当日、ジャンパーを着た陛下とズボン姿の皇后さまは、村唯一の小学校の前で車を降り、村民約八百五十人の出迎えを受けた。

 屋根の上から高圧水で民家を洗浄する除染作業を視察したときには、風が吹いて霧状の水が降り掛かったが、両陛下は気にするそぶりも見せず「線量はどれぐらいですか」「それなら大丈夫ですね」と熱心に質問を重ねた。

 当時五十世帯が住んでいた仮設住宅では、目線を相手の高さに合わせ、一人一人に「お体の加減はいかがですか」などと言葉をかけた。働き手は村外の避難先にそのまま残り、戻った住民の多くは高齢者。遠藤さんは「感激して涙を流す人もいた。両陛下の来訪後、村民の間で『自分たちのことは自分たちでやろう』という雰囲気が生まれた」と話す。

 昨年春に四選を果たした遠藤さんは今年四月、園遊会出席のため、初めて東京・赤坂御苑に赴いた。「少しずつ村民も戻ってきています」と報告すると、両陛下は「良かったですね」とうなずいた。

 遠藤さんは「平成は少子高齢化の時代だ」と受け止めている。子どもの教育充実のため、〇七年に当時全国でも珍しい村営塾を実現するなど少子化対策を講じてきた。そこに起きた原発事故。今、村民の帰還率は八割まで上がったが、五十歳未満の若い人たちはまだ少ない。

 社会構造の変化と人災。大きな時代の流れにも「少しでもあらがいたい」と遠藤さんは思う。両陛下が村民のことを心にかけてくれたことを励みに、その意を強くしている。

 (川上義則)

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