特集:解散・総選挙の大研究 – BLOGOS

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来週28日に召集される臨時国会が、どうやら冒頭解散になりそうな雲行きです。絵に描いたような「抜き打ち解散」で、野党の準備が整っていない今なら、少なくとも与党は大負けしないはずなので、ゲームとしては上手な作戦と言えましょう。命名するなら「今のうち解散」といったところでしょうか。他方、選挙で何を訴えるつもりなのか、北朝鮮問題のさなかに政治空白を作っていいのか、などの声も重く響くところです。

それでは日本政治における「解散」は、これまでどんな位置づけであったのか。今回の手法はどうなのか、今後はどうあるべきかなど、論点は尽きないところではないかと思います。そこで今回は「解散・総選挙」について掘り下げてみました。

●タイトな秋の政治外交日程

第3次内閣改造が行われ、「仕事人内閣」が発足したのが8月3日(木)のこと。その翌日発行の本誌622号”FromtheEditor”欄で、筆者は下記のように書いている。「9月22日」を「28日」に置き換えると、どうやらこの通りの事態が進行しそうである。

それでは安倍首相の次の一手は?ひとつは年内の解散・総選挙で「第4次安倍政権」への道を開き、来年の総裁選にも勝って長期政権を目指すシナリオが考えられます。この場合、10月22日の補欠選挙にぶつける形で、「9月22日臨時国会召集→冒頭解散、10月22日総選挙」という日程が浮かびます。最大野党、民進党の支持率は低迷しているし、これなら「都民ファーストの会」の国政進出は間に合わないだろう、との読みです。

予想が当たったぞ、などと言ったところであまり自慢にはならない。8月4日時点の安倍政権は、内閣支持率が大きく落ち込んでいて、上記はいわばダメージ・コントロールのためのプランであった。この際、早めに選挙を実施しておけば、衆院における与党の3分の2の議席は失うかもしれないが、よもや過半数を失うことはあるまい。憲法改正という「悲願」は遠のくが、政権安定化を図るならその方がマシでしょ、という発想だった。

年内解散を目指す場合、今年の秋は10月の外交日程がガラガラで11月は超過密になっている。そこで9月下旪に臨時国会を召集して冒頭解散すれば、非常に好都合な政治日程が出来あがる。逆に11月下旬に解散→12月総選挙を目指すとなると、2012年や14年と同じパターンとなるけれども、ひとつ歯車が狂えばタイミングを逃すかもしれない。

実際に9月28日の冒頭解散で日程を組み立てると、下記のようにピッタリ収まる。逆に言うと臨時国会の冒頭解散ではなく、義理堅く施政方針演説や代表質問で数日間を使ってから解散すると、投票日が1週間遅れて10月27日となり、トランプ大統領の訪日前に首班指名から組閣など一連の作業が間に合わなくなる恐れがある。

○この秋の政治外交日程

9月24日    ドイツ総選挙
9月28日    臨時国会召集(→冒頭解散)
10月10日   朝鮮労働党創建記念日
10月10日   衆院選公示日
10月18日~  中国共産党大会(北京)
10月22日   衆院選投開票(補欠選挙を吸収=青森4区、新潟5区、愛媛3区)
          →特別会の招集、首班指名、組閣など
10/31-11/1  米FOMC
11月4-6日   トランプ大統領が訪日(→韓国、中国を歴訪)
11月10-11日 APEC首脳会議(ベトナム、ダナン)
11月14日頃  東アジアサミット(フィリピン、パンパンガ州)
12月12-13日 米FOMC(今年3度目の利上げ?)

安倍首相が解散を決断したのは、もちろん「野党の準備が整わないうちに」という党利党略のためであろう。ただし上の日程をよくよく見ていると、「北朝鮮対策のためのベストな政治日程」という解釈も可能である。

それというのも、北朝鮮は8月29日、9月15日のミサイル発射、9月3日の核実験というカードを切った後であり、いわばボールは米国側にある。そこで米国側がどう出るかと言えば、対話に出るにせよ軍事オプションを行使するにせよ、中国との調整を済まさないことには始まらない。その中国は、10月の共産党大会が終わらないと身動きが取れない。

トランプ政権が対北朝鮮で具体的な行動に出るのは、11月に訪日、訪韓、訪中を済ませ、さらにAPECと東アジアサミットに出た後ということになるのではないか。従って北朝鮮問題の山場は12月、と考えておくと良いかもしれない

●解散に「大義」は必要なのか

とはいうものの、今回の解散に対する世論の風当たりは強そうだ。なんとなれば「大義がない」からである。しかしそれを言い出したら、過去の解散で「大義」が明確であったものはあまりない。せいぜい2005年の郵政解散くらいではないか。

新憲法下で衆議院が発足したのは1947年のことで、今年は70年目となる。この間に任期満了選挙は1976年の1回だけで、実に23回の解散が行われ、間もなく24回目が行われようとしている。衆議院議員は4年間の任期がありながら、平均すると3年未満ということになってしまう(70年÷24回≒2.91666…年)。

こんな風に頻繁に解散が行われてきたのは、日本国憲法に「69条解散(内閣不信任決議可決の場合)」と「7条解散(天皇の国事行為)」という2つのパターンが用意されているからであろう。憲法を字句通りに読むと、内閣不信任が可決された場合以外の解散は想定されていないように見える。

ところが戦前の日本は、内閣が好きなときに議会を解散できる仕組みになっていた。実際、そうでないと、議院内閣制はしばしば身動きが取れなくなってしまう。1948年の第2次吉田内閣もご多分に漏れず、少数与党で政権運営に行き詰まっていた。そこで解散して議席増を目指したわけだが、当時の政府はまだGHQに気兼ねをしなければならなかった。そこで与野党が内閣不信任決議を可決したうえで、衆議院を解散する(69条解散)という面倒な手法を取った。世に言う「馴れ合い解散」である。

1951年にサンフランシスコ講和条約が成立し、日本が独立を回復するとそういう配慮も不要になった。そこで1952年には、第3次吉田内閣が純然たる「7条解散」に打って出る。この時は文字通りの「抜き打ち解散」で、選挙準備が出来ていない反吉田勢力に打撃を与えることが目的であった。戦前の事情を知らない新人議員たちは、臨時国会が冒頭から解散の詔勅が出てきたので肝をつぶしたという。当時の解散には、「大義」どころか「仁義」さえもなかったのである。

それどころか吉田首相は、事前に何度も解散の可能性を否定していた。ここから「解散は首相の専権事項」であり、「解散と公定歩合については嘘をついても構わない」という「昭和の常識」が誕生することになる。





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